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みたもの記録

【舞台】外地の三人姉妹

12月19日 KAAT神奈川芸術劇場

 

今年は多くの人がそうだったように、自分もKカルチャーにどっぷり浸った。ドラマ、映画、音楽、文学に触れ、それらを生み出した韓国の歴史や文化にも興味がどんどん派生して、ここ何年かで一番、学びたい意欲が湧いてきている。時間も体力も、頭の回転も追いつかないくらい、触れたいものが多いという状況。幸せなことには違いない。

 

ただ、演劇に関しては、なかなか近づくことができていない。ミュージカルは配信で観ることができたけれど、“その場で体験すること”に一定の価値を見出す舞台芸術は、配信がイコール観劇体験にはなりづらく、一観客としてももどかしさを感じる。配信は集中できないという個人的な課題もある…。「大学路で観劇したい!」というのが、韓国に行ったらやりたいことの一つ。

 

そんななかで知った、「外地の三人姉妹」。

 

日韓コラボの作品をKAATで上演するというから驚いた。すごい。このタイミングで可能なんだろうか?とまずは思った。けっこう攻めるな、と。

そしたら、東京デスロック主宰の多田さんと、韓国の劇作家ソン・ギウンさんは以前、『가모메 カルメギ』という作品でタッグを組んでいて、フェスティバルトーキョーでも一緒にやっていたとさっき知った。長いご縁らしい。

www.cinra.net

 

実は前日まで、この状況で行くかどうしようかと悩んでいたけれど、年末恒例の「中村屋ファミリー」特番を見て、今年観られなかったたくさんの舞台に思いを馳せて、足を運ぶことにした。ありがとう中村屋。歌舞伎の話もそのうちしたいな。

 

ちなみにKAATは、そのとき上演してる作品のどでかいポスターが壁面いっぱいに掲げられているのが好き。今回は開館10周年のポスターだった。会場はほぼ満席で、客層もバランス良い感じ。こうやって観客を眺めて思うのは、みんな何をきっかけにこの作品を知って、見に来ようと思ったんだろう、ということ。特に深い意味はないけれど気になる。席となりになった人とかに聞いてみたい衝動に駆られることが、たまにある。

 

・・・

 

さて本題。以下、あらすじ(劇場サイトより)。

1930年代、朝鮮半島の北部にある日本軍が゙駐屯している都市、亡くなった将校の息子と三人姉妹が住んでいる屋敷。息子は朝鮮の女性と結婚し、姉妹はいつか故郷である東京に戻ることを夢見ている。戦争へ向かう帝国軍人達の描く未来像、交差する朝鮮人の想い、姉妹達の日本への望郷の想いとは・・・

www.kaat.jp

そもそもの話、ベースとなっているチェーホフの『三人姉妹』を私はほとんど知らなかった。あらためて原作のストーリーをさらったら、登場人物や設定はほぼ同じで、観ながら気づけたら楽しかっただろうなと思った。でも、さほど問題なく作品の大枠はつかめる。ステージ奥に下げられたスクリーンに、「1幕、福沢家○○の場面」「1910年日韓併合」といった具合に説明が表示されるから理解はしやすかった。

そして今回は、韓国の俳優さんも参加されていて、韓国語のセリフもある。日本語と韓国語が飛び交い、スクリーンに二言語が映される。それこそ、劇場でないと感じられない空気や言葉の重なりがあって、それを体験できただけでも行った意味があったなと思う。

 

観終わって思うのは、「面白かった」「感動した」「心に残った」とか、そういう単純な感想ではまとめきれない、ということ。そんなことを言ったら、「なるべく言葉にする」というブログを始めた目的が失われてしまうんだけど…。

まず、日韓の歴史を直接的に扱う演劇作品に触れたのがはじめてだった、というのが大きい。戦時下の日本を舞台にした映画やドラマは見ていても、同時代の朝鮮半島を舞台にした演劇作品ははじめて。演劇だと、映像作品と比べて、他人事として見られないという感じが強まる気がする。“目撃してしまっている”という感覚もあるし、何より隔てる壁がない。ステージの上と下で壁はあるようでない。だからその分衝撃が強いし、緊張感やしんどさも増すし、情報量に圧倒される。

 

スクリーンに淡々と映し出される日韓の年表。教科書に記され、学生時代にゴロ合わせで覚えた年号や出来事が、次々と流れてゆく。そのとき日本人は、韓国人は、そこに居合わせた人びとは、どんな風に生きていたか。当然、教科書では読み取ることができない思いが、物語をとおして迫ってくる。

テスト用紙に書きつける回答としては、“知ってる”。でも、私は本当に、隣の国の歴史を知っているんだろうか…?今年は何度もその問いが頭に浮かんだ。そして、今回の観劇でも。知るのは簡単ではないし根気がいるけど、いろんな視点からそれを続けていかないと、と思う。

 

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三人姉妹は、翻弄されて疲弊する。泣きわめく。絶望する。楽しく笑っているシーンは、前半の一部分かもしれない。彼女たちに直接危険が及ぶことはほとんどないけれど、周囲の人間や環境が戦争で変わってゆくことで、平和は次第に脅かされて、「内地(東京)に帰りたい」という想いが募る。東京に戻ることで、果たして彼女たちは幸せな人生を送れるのだろうか。そんな疑問がよぎる。

 

ラスト近くである悲劇が起きて、三人姉妹が肩を寄せ合って泣き崩れる場面がある。そこで長女の庸子が、三女の尚子に向かって「前を向いて生きていきましょう」と必死に励ます。すると尚子は泣きながら、「前って、どっち?」と聞き返す。「前は…みんなが向いてる方よ」と庸子。このあと、「それでも生きていかなきゃならない」という覚悟を口にする姉妹だけど、この「前って、どっち?」という言葉が、この作品の肝になっている気がした。進むべき道すら分からない現状。でも、悲しむだけでは何も変えられない。生きてる限りは足を前に踏み出さなければいけない。そんな無力さと戸惑いがリアルに響いてきた。この時代だけじゃない、今だって前後左右が分からなくなることがある。どうやって生きていけばいいんだろう。何を道しるべにすれば、心が折れずに済むだろう。三姉妹が揃って同じ方向を見つめるシーンから、つらさや悲しさを分け合える存在がいることは、現実に立ち向かう一つの方法だな、と絶望の中に少しの光を見る。

 

姉妹だけじゃなく、兄や、同居する医師、軍人たち、その土地に住まう人たちなど、皆それぞれが思いをぶつけたり、言葉を飲み込んだり、何かを諦めたりしながら、進んでいく。何が正しくて、何が正しくないのかは、そのときになってみないと分からないという気がしてくる。状況や環境がその人をつくる、ということも思う。

 

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つらつら感想を書いてみた。何かをつかめた、という感じはあまりない。でも「知らねばならん」という気持ちが強まったことは確か。

あとは、演出に関しては正直よく分からないところもあった。あまりツイッターとかで言及している人を見かけなかったけど、ある場面でBTSの「FAKE LOVE」が流れて(おまけにアミボムも登場)、全く前後の脈絡なくきたからポカーンとしてしまった。なぜBTS?なぜそこで流す?歌詞から解釈を引っ張ってくれば良いのだろうか。そういや、Perfumeの「FAKE IT」のリミックス的なのも流れたから、「FAKE」つながり???とか思ったけど、やっぱり分からない。演出の多田さんは、<音楽に積極的にJポップやKポップを取り入れるなど、音楽、照明、映像を大胆に使用する演出手法で、戯曲が書かれた当時と現代を繋いできました>という説明があるとおり、わりとよく使っているのかもしれない…がしかし。KPOPの記号化については興味があるけど、実際読み取るのは難しいというか、若干ネタ的な使われ方になってたのはモヤッとした。どなたか解説を…。演出については、もう少しいろいろ観て知ってから追々、か。

 

 

最後に、会場で配布されたリーフレットにあった多田さんの言葉を紹介して終わります。後半が特に、今年自分が感じた気持ちを表してくれていると思ったので。

日韓双方からの視点や登場人物それぞれの視点、自分とは違う他者を想像することへの希望と、想像のつかないことへの絶望にも寄り添ってもらえたら嬉しいです。

 

 

12月もあと10日ほど。できれば、何かまとめの記事を書いて終われたらベストだなぁ。気力もほどほどに残しておきたい。