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みたもの記録

「深淵」を覗き見て、思わず伝えたくなったこと

まさか誕生日の本人から、真っ先にプレゼントをもらうことになろうとは。驚きと嬉しさと、いろんな気持ちが混ざり合ったまま日付が変わり、12月4日になった。

 

BTSの長男、キム・ソクジンさん、誕生日おめでとう。

まずは心からの感謝を。いつもメンバーとARMYに愛情を惜しみなく注いでくれて、ユーモアとやさしさで包んでくれて、自分を愛することがいちばん大事だよと伝え続けてくれて、ありがとう。

 

昨夜から少し経って、落ち着いた今あらためて思う。好きな人の作品に刺激を受けて書ける文章、こんなに幸せなことってない。全然まとまりそうにないけど、日記と称して思ったまま書いてみます。

 

= = =

 

ちょっと振り返ってみる。

私が一番最初にジンさんを認識したとき、「メンバーの精神的支柱」と紹介されていたことを思い出す。「精神的支柱」…って、どういうことだろう、と思った。物静かで冷静で、おだやかな人だろうか。最年長と書いてあるから、リーダーなんだろうか。実際そのときはあまり率先して喋ってはおらず、周りを見守ってるように見えて、「あぁ、この人は一歩引いて俯瞰するタイプの人なのか」と何となく思った。

 

そこから「精神的支柱」の意味を知るまでに、時間はかからなかった。

最初に抱いた「物静かでおだやかな人」という印象は、いろいろと見ていくうちに一度打ち消され、こんなにも明るく笑う人だったのかと驚き、つられて何度も笑った(ほんとにつられるよねあの笑い方……)。弟たちとワイワイ騒ぐ子どもみたいな姿に、「この人が最年長ってなんかいいなぁ、全然年上っぽくないもんなぁ」と、見れば見るほど愛おしさが増していったし、メンバーから彼に向けられる愛情や信頼を感じるたびに、「BTSの最年長」の意味を噛みしめた。最年長がリーダーではないBTS。その最年長がキム・ソクジン。今だからこそ分かるけど、このバランスって本当にすごいなと思う。

 

ちなみに、私がめちゃくちゃ好きな愛されジンヒョンはこれです。まるっと愛おしい。後ろでONの演歌版(らしい)を歌ってるユンギさんももれなくかわいい。元気がないときに見るといいと思います。

 

youtu.be

 

ただ、第一印象というのは案外無視できないもので、そこからまた何周かした今は、最初に感じた印象――おだやかで、冷静で、一歩引いて俯瞰しているような人――が鮮明に浮かび上がってきている。

 

自分のなかで大きかったのは、ドキュメンタリー映画BREAK THE SILENCE』(通称ブレサイ)で語っていた、「自分は、BTSのJINとキムソクジンを完全に分けてる」という話。これを聞いて、「この人は自らのフィルターを通して、何を見せるべきかはっきり選別した上で発信してるんだ」と知って、(そこまで完全に切り分けられる強靭さってどこから来るんだろう…)とますます興味が湧いた。 

なぜ、“興味”かというと、私が昔から推してきた人たちに共通するものを感じたからだった。ステージ上で、表現者として立つことにこだわっていて、本人の感情、たとえば、過程で生まれる苦労が透けて見えることを、良しとしない人。「自分を通して作品を見るのではなく、出来上がった作品そのものを見て感じてほしい」と言うような人に、私は信頼を寄せてきた。とは言え、こちらもまぁまぁ長いことオタクをしているので、提示されたもの以上に受け取ろうとしがちだし、裏側を見せてもらえたら何だかんだ嬉しい。長年、この矛盾には答えが出ていないのだけど。

 

 

…と、こうなってくると、ジンさんの考え方はその最たるものではないか、と思った。アイドルとして、BTSとして求められている姿と、本来の自分とをはっきり分けて見せてくれている。気持ち良いほどに。それなら、彼が提示してくれたものをそのまま受け取ろう。

 

そう決めたところだったのだ。

 

ところが、Weverseのインタビューを読んだあたりから変化を感じた。もしかして、本音のような感情を共有してくれている…?と。

いや、もう少し前からかもしれない。やや遡って、10月のオンラインコンサート最終日。ラストで捌けていくときの表情が実はずっと気になっていて、終わったあともしばらく、「あのとき何を考えていたんだろう」「その感情を知ることはないのかな」と余韻を引きずり、寂しさが募った。思わず検索もかけてしまった。ファンになったばかりで何を知ってるわけでもないけれど、MCでの「やるせない、切ない」という率直なコメントとともに、どうしても気になってしまったのだ。「あーみー!」と茶目っ気たっぷりに叫んで、笑顔で去っていくイメージばかりが先行していたからだと思う。ただ、探りすぎるのは彼の意思に反すると思ったし、必死に考えないようにして、時間が過ぎていった。

 

そして、11月。「BE」リリースに関するWeverseのインタビューを読んだ。詳しくはぜひ本文を読んでもらいたい(ほかのメンバーのテキストもすごく読み応えがあった)のだけど、Dynamiteのヒット後、「自分がこんなにまでお祝いの言葉と愛をもらっていいのかと思った」という気持ちを吐露していたジンさん。これって珍しくない…?あんまりなかったよね…?と読みながらやや戸惑い、なんとなく、ライブのときの表情がフラッシュバックして、ぐるぐると考えた。彼のなかで一体どういう変化があったのだろう。答えがないと分かっていても、考えずにはいられなかった。

 

からの、突然の新曲「Abyss」。直訳すると、深淵。

 

youtu.be

びっくりした。いろんな意味で。とにかくびっくりした。

だって「深淵」というタイトルが、あまりにも直球だったから。深淵とは、のぞきこむもの。奥深く、底知れないもの。そこから感情をすくいとってきて、目の前で広げてもらったような、「こんなに思い切り覗き込んでもいいの?」と聞いてしまいたくなるような楽曲だった。日付が変わろうかというタイミングで、一気に緊張した。ほんとは「はじめてのセンイル!キムソクジン、センイルチュッカヘ〜!」というテンションでブログを書き切るつもりでいたのだけど。まったくもって無になるという。

 

曲を聴きながら、翻訳していただいた歌詞を読んだ。

海を漂ってもがいて、届きたいのに届かなくてもどかしい、という切なさが、メロディにも歌詞にも滲んでいるような気がした。何度も繰り返し聴いて、でもなんといったらいいのか、どうやって感想にまとめたらいいのか全然わからなくて、これは一気に咀嚼するのはむりかもな、と思った。でも考えたかったし、何を伝えようとしてくれたのかを感じたかった。こんな気持ちになるなんて、と、戸惑いつつも嬉しくもあった。冒頭に書いたように、すきな人の作品から影響を受けることは、この上ない幸せだと思うから。

 

btsblog.ibighit.com

 

楽曲とともに公開されたこのブログも、かなり赤裸々な言葉で語られていた。読んで苦しくなったけれど、同時に「この先知ることはないのかも」と思っていた感情を共有してくれたことに感謝した。…感謝、でいいのかな。喜んでしまっていいのだろうか。それすらちょっと迷ってしまったけれど、でも1日経って、いいのだと思うことにした。彼の言葉に導かれるようにして、とにかく聴こうと決めた。

 

これまで、「自分の悲しい感情をファンの皆に共有したくない。良いものだけをお見せしたい」と思ってきたというジンさんも、今回、自分の中にある不安や戸惑いを音楽に込めて届けてくれたジンさんも、両方全力で受け止めたいし、大きな愛で返したい。こういう姿を見せてくれることがどんなに救いになってるか、できることなら伝えたい。いろんなものを背負い、視線を浴び、議論の的となり、注目され続ける人生を歩む彼らが、それでも変わらず、いつもファンと目線をあわせて、寄り添って、言葉を投げかけ続けてくれることが、どんなに癒やしとなっているか。「今年、あなたたちの存在に気づけたことが本当に大きかったんだよ」と、何度言っても足りないくらいだ。

 

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ここで締めようと思ったけど、もう一つだけ。

 

どうにも説明つかない感覚がある。それは、世界中に何百万、何千万というファンがいるBTSのJINさんと、自分が考えたり思ったりしているジンさんが、微妙に一致しないという感覚。なぜだか分からないけれど、一対一で向き合っている、という感覚がある。オタク用語で言う、いわゆる“同担拒否”とか“独占欲”とか、そういうものでは一切なく、パーソナルなキムソクジンを見つめているという感じ…とでも言おうか。グローバルなスケールで活躍するBTSのメンバー・JINでありながら、ふしぎなくらい近くて、“親密さ”を持ち合わせている気がする。彼に限らずほかのメンバーも同様に。

 

これを、単にKPOPの戦略の一つとして説明することもできると思う。たとえばSNSやV LIVEで距離感の近さをアピールし、一方ではクオリティの高いパフォーマンスや作品で圧倒的なプロフェッショナリズムを打ち出してくる。その両輪が、BTSに限らず、KPOPアイドルの大きな魅力であることは間違いないと思うし、実際に自分も惹かれた部分だ。ただ、そういう戦略云々の話だけでは語れない距離感というのも、ファンになってみて感じることが多々ある。それがすごく面白い。

ジンさんが「楽しい姿だけを見せたい」という理由は、「自分が悲しんでいる姿を見せることで、ファンも共感して悲しんでしまうと知ったから」らしい。心理的な距離感、つながり、共感、共鳴。アイドルとファン、という関係性はもちろんあるにせよ、これまで自分が経験してきたそれとも違うと感じるのは、双方向の感情の行き来があるからなんだろうなと、最近実感し始めている。というかもはや、共同体だな、と思う。共同体という言葉を掘り下げようとすると長くなるからしないけれど、「BE」から受け取ったメッセージなんかも、そう思わせてくれるようなものだった。深い結び付きが、ばんたんとARMYにはあるよな、と。そして、ジンさんの感情表現の変化や、楽曲にこめた思いを本人から聞くことができた、今回の一連のできごとからも、そうした結びつきを意識する機会になったと思う。

 

長々と書いてしまったけれど、これは誕生日ブログなんでした。そうでした。

 

もし、ファンに感情を伝えることで少しでもラクになるのなら、その役目はいつでも果たしますよ、という気持ちだ。伝えたいと思ったときに、伝えてほしい。ファンが愛情を伝えたいと思ったときに、いつもそこにいてくれるように、彼が何かを伝えたいと思ったときに受け取れたら、きっとそれは、健康で幸せな関係性なのではないかな。そうあれたらいいな。

 

きょうもあしたも、その先も、ぐっすり眠れますように。

愛を込めて。