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みたもの記録

【読書記録】『フィフティ・ピープル』

※これは今年8月に書いて別場所にアップしたテキストの再構成版。感想の類はこちらにまとめた方がしっくりきそうだなと思ったたため、上げ直し。

 

はじめに

亜紀書房 - となりの国のものがたり1 フィフティ・ピープル

最初にこの本を知ったのは、去年、韓国関連書籍を専門に扱う書店を訪れたときだった。当時店内にいたのは自分ひとり。それもあってか、スタッフの方が話しかけて来てくれて、しばし会話が盛り上がった。なぜここを知ったのか、今何に興味があるのか。「韓国のミュージカル熱いですよ!」と話をされたのも覚えている(今ならモーツァルトの話をするのに…!)。

 

するとスタッフさん、おすすめの本を紹介してくれるという。その中の一冊がこの『フィフティ・ピープル』だった。紹介されてもちろん興味は湧いた。だけどその時は、小説というより、エッセイやフェミニズム入門的な本を探していたため、買うに至らず。表紙も可愛いし、登場人物が50人という群像劇スタイルにも惹かれたし、読み始めたら絶対面白いに違いない。だから何となく、頭の隅にはずっとあった。


時は過ぎて、今年の6月。よく行く書店でふと思い立ち探してみると、ちょうど1冊棚に収まっているのを発見。これはラッキーと思い、買うことにした。ここ数年、本を最後まで読めた試しがないけど大丈夫かなと、本の厚みにやや不安を覚えながらも読み始め、気づいたらページをめくる手が止まらなくなっていた。

 


あらすじ

「この物語集は、韓国の首都圏のどこかにある大学病院にまつわる人々のお話を集めたもの」(訳者あとがきより)

と、まさにこの通りなのだけど、単に病院内でのやり取りかと言われると、そうじゃないところがこの作品の面白さなんだろうと思う。病院を訪れる患者もいれば、そこに務める医師や看護師、インターンの学生など、いろんな立場の人が出てくる。そしてさらに、患者の付き添いの友人の視点、インターンの学生の視点、救急で運び込まれてきた少女の友達の視点…など、どの話も少しずつ誰かの物語と重なり合っていて、誰かの物語の脇役だったり、キーパーソンだったと後で分かったり、通り過ぎたあの人はもしかして…?と振り返ってみたりと、書籍説明にもあるように、まさに“50人のドラマがあやとりのように絡まり合う”仕組みになっている。 

 


心地よい文体

タイトルのとおり、登場人物は50人(数え方によると諸説?あり)。一人のエピソードにつき5〜6ページくらいの、短い物語をつなぎあわせたような構成になっていて、「連作短編小説集」とのこと。おかげで、始めからサクサク読めたのは大きかった。


ところで、読書にはある程度の勢いとテンポが必要なんじゃないかと個人的には思う。というのも、自分の場合は話の面白さもそうだけれど、文体がハマらないとなかなか先に進もうという気が起きない。その点、この本は本当に気持ちよく読めた。チョン・セランというこの作家の特徴なのか、それとも訳し方なのか、そのあたりはまだ何とも言えないものの、長々とした比喩表現やまわりくどさがなく、それでいて登場人物たちにあわせた口調や感情表現は隅々まで丁寧で、豊かだなと感じた。その豊かさが、惹かれたポイントの一つかもしれない。

 

 


余韻の味わい深さ

これも唸った点の一つで、各エピソードの完成度がすごい。たった5、6ページほどの中に、派手ではないけれど惹きつけられるようなドラマが詰まっていて、現在を描いていたり、ときには過去に思いを馳せたり、未来を予感していたりする。簡潔な導入も小気味良いし、それ以上に話の終わりがどのエピソードもなんとも言えない余韻を残して終わるのもたまらない。

 

ちなみに、この余韻の点でのお気に入りは、「キム・ヒョッキン」、「イ・ホ」、「キム・インジ、オ・スジ、パク・ヒョンジ」、「キム・ハンナ」、「チ・ヨンジ」このあたり。2周目を読んだらまた変わってきそう。あと、けっこうドキッとするような一言がいろんなところに散りばめられていて、それが説教臭くないのがまた良い。

 

「いちばん軽蔑すべきものも人間、いちばん愛すべきものも人間。その乖離の中で一生、生きていくだろう」

(「イ・ソラ」P311 より)

 

「しょせん私たちは飛び石なんです。だからやれるところまでだけ、やればいいんです。後悔しないように」

(「ソ・ヒョンジェ」P450 より)※一連の文章より一部抜粋


この2つは特に響いた。ここだけ抜き出すとだいぶ印象が違ってみえるかもしれないけれど、そこが面白いところ。各話読み応えがあるし、シリアスだったり、ふふっと笑えるシーンもけっこうあるから構えずに読める。

 

 


隣人と連帯(と、長めの雑感)

あとがきによると、「50人の登場人物たちの誰かに、自分を重ね合わせてもらえたら」というのが、著者の思いの一つらしい。皆それぞれ歩んできた人生があり、抱えている不安や悩みがあり、ひとりとして同じ人はいないけれども、“今、ここ”に居合わせたことは事実。街ですれ違うだけ、一瞬ふれあうだけ、この先一生出会わない人なんて山程いる。そんな人たちの人生が少しずつ少しずつ作用し合って、この社会の空気がつくられているんじゃないか。だから、きっと本質的なところでは、完全なる他人ではないのかもしれない。何かが違えば、出会うはずだった人。友達や恋人になってたかもしれない人。そういう「かもしれない」も、自分の人生にはあったんだ、これからもきっとあるんだ。そう思うと、目の前の出会いや、周囲の人たちとの関係がより一層大事に思えてくる。読み終わって、そんな物語だなと感じた。

 

これもまた、あとがきで知ったこと。フィフティ・ピープルには韓国社会で起きたさまざまな事件・事故が、各エピソードに反映されているらしい。ある章については、2014年に起きた「セウォル号沈没事故」を想起させる、と訳者は書いている。この前見た映画『はちどり』でも、1994年に起きた「ソンス大橋崩落事故」が重要な場面で描かれているし、韓国のカルチャーでは、実際の出来事がいかに社会や市民に影響を与えたか、ということを真摯に見つめることが一つのテーマになっているのかもしれないと、最近(本当に最近ではあるけど)考えるようになった。もちろん、これは韓国に限ったことではなく、日本も、また他のアジアや欧米諸国だって、自分たちの歩みを顧みて、何かしらのかたちで言及したり、表現したりしているとは思う。日本においては、東日本大震災以前・以降で語られることが多々あるように。

 

そうして韓国社会に起きた事件・事故は、これまでの世代が後回しにしてきた結果だとして、あらためて見直そう、向き合おうという動きが活発になっているとのこと。その一つが昨今のフェミニズム運動だったりもするんだろう。これもまた、はちどりにも描かれていたように、「次の世代に何を残すことができるか」「何を断ち切ることができるか」という点は、今回読んだフィフティ・ピープルにも共通するものがあるように感じたし、さらに言えば、やっぱり韓国カルチャー全体に通底するテーマの一つなのかもしれない。それはしばしば、“連帯”という言葉で表現されていたりもする。

 

完全に自分の話になるけれど、正直今までは、生まれ育った日本にしか考えが及ばなかった。というか想像しづらかったし、できなかった。どうやって、行ったことも見たこともない国のことを考えればいいんだろう。興味はあるけれど、そもそも深く考える必要があるんだろうか。だって、私はこの国から(きっと)出ないんだし、と内心ずっと思ってきたようなところがある。

 

でも違った。想像できないんじゃなくて、しようとしてなかっただけだった。2020年、世界が同じ状況になってみてはじめて、自分が置かれている状況をもっと客観的に見てみたい、見なきゃだめだ、と思うようになり、同時に、ほかの国のことを同じ地点から眺めるきっかけが生まれた。そういう流れのなかで、隣国の韓国に興味を持った。以前から気になっていたことが、一気に爆発したのかもしれない。


隣国を知ることは、自分の足もとを見つめることにもなるはず。だから今は、とにかく興味の赴くままに見て、読んで、受け取ろう。今回の休暇は特に大きな予定もなく過ぎ去ろうとしてるけど、時間を気にせず考えることができたのは収穫だったし、何かしら今後の種まきにもなった気がする。まもなく20代が終わろうというタイミング、そして2020年。失うものばかりではなかったと、あとで思えるようにしたい。