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みたもの記録

【舞台】ベイジルタウンの女神

9月26日 世田谷パブリックシアター

 

観劇再開は8月の歌舞伎から。そのあとまた少し空いて、ストレートプレイはこのベイジルタウンの女神が最初になった。

 

ケラさんの舞台は、2年前に再演版の「百年の秘密」を観て以来、なるべく逃さないようにしている。といっても多作の方なのですべてをチェックすることはなかなか難しいけれど、今回の「ケムリ研究室」は緒川たまきさんとの新たなプロジェクト。行かない理由がなかった。あとは何といっても、松下洸平さん久々の舞台出演。昨年「木の上の軍隊」ではじめてお目にかかってから、半年くらいの間にスカーレットがあり、一躍時の人となった松下さん。しばらくは舞台には出ないかも、と思ってたから、この知らせには驚いたし、うれしかった。

 

ケラさんご本人も書いていたけど、今作は「キネマと恋人」の雰囲気に近く、笑えて感動して、ハッピーエンドな作品。ただその中にも、貧困問題、格差社会が描かれていて度々ハッとさせられた。「搾取する側」と「搾取される側」の関係性があっという間に入れ替わることで突きつけられる現実。演劇はいつだって“今”を映す鏡のようなものだなと思うけれど、今回もまたそんなことを考えた。映像や素早いモーションを駆使したケラワールドは相変わらずポップでおしゃれで、たとえ重めのテーマを織り込んでいたとしても観客の負担になりすぎないというか、するすると世界観に入り込めるのが良いなと個人的には思う。

 

「キネマと恋人」の一途なヒロインがとっても可愛らしかった緒川たまきさん、今回は大企業の社長であり、世間知らずのお嬢様という役どころがあまりにもマッチしていて、終始キュンとしてしまった。ほんとうにすてきだった。そんな緒川さん演じるマーガレットと、かつてマーガレットのお屋敷に雇われていて、現在は自ら会社経営者となっているタチアナとの友情もかなり作品の軸になっていて、後半の展開はなかなか感動的だった。タチアナ役は高田聖子さん。あまりこういう役をやっているイメージがなかったんだけど、実直で少し不器用で、マーガレットとの過去の思い出にどうしても執着してしまう姿がもどかしくも愛おしかった。芸達者なお二人だから、次第に昔の関係性を取り戻していく過程がすごく説得力があったし、こっちまでホロリとしてしまった。

 

出演者も豪華で、仲村トオルさん(昨年の「終わりのない」ぶり)、水野美紀さん(スカーレット組がふたり!)の兄妹もいいキャラだったし、温水洋一さんと犬山イヌコさんの腐れ縁みたいな関係性も、みんな愛が詰まってて良かった。あとやっぱり言っておきたい、松下さん演じるヤングと、吉岡里帆ちゃん演じるスージーの初々しい恋模様ね…。いや、まさかあんなストレートな愛の告白シーンを目の前で(席がほんとに近かった笑)見るとは思わなくてこっちが照れちゃったよね…。ヤングが意を決して好きと叫んだあと、スージーも負けじと「私も!」って返すんだけど、そのあと何度か「いや俺のほうが」「いや私のほうが」みたいになるの可愛すぎた。そして何度目かのヤングの「好きだ」に押されたスージーが「…降参っ!」て手をあげるんですよね、もうね、あれは吉岡里帆ちゃんの真骨頂なのではないかと。一言で老若男女を射止めてしまう力。多分あれ見てた人たち皆、「こちらが降参ですよ」と思ったことでしょう。

 

そして改めて、ヤング役の松下洸平さんについて。スカーレットの十代田八郎のインパクトが強いだけに、おそらく誠実で温厚なキャラクターが今後続くのではと少し思っているのだけど(タラレバとかリモラブもそんな気がしている)、今回のヤングは生命力に溢れた直情的なキャラクターで、このタイミングで演じる役としては意外だなとも思った。ただ、前回見た「木の上の軍隊」の兵隊役は生きるためにもがく役どころだったから、久々にそういう真っ直ぐな姿を全身で演じる松下さんを見て、何よりご本人がすごく楽しんで演じてるんだろうな、というのが伝わってきて嬉しくなった。走り方とか、勢いがすごかったもんな(笑)思わず「隠しきれない身体能力…!」と心の中で叫んだほど。一方で、絶妙な表情の変化や、感情が噴出するような台詞まわし、目線、動き、そういう繊細な芝居が似合う(得意な)役者なんだろうなとも思った。今回はその逆をいくようなキャラクターで、それが愛おしさにもつながるのだけど、パンフで「コメディの経験がないから課題」と言ってて、いろいろ試行錯誤したんだろうなと。新たな一面を見られたことへの感謝と、まだ見ぬ次回作への期待を抱いた。

 

一つ気になったのが、山内圭哉さんが2役演じる「ハットン」のうちの、ベイジルタウンに住む「水道のハットン」。双子の兄弟で、一方は昔から悪さをしてきて、未だに懲りない悪党。もう一方はそんな兄(弟?)から暴力を受け、名前を聞くとひどく怯えてしまうような、おそらく自閉症の男性。いつも水道の蛇口を持っていて、ひたすら水道の歴史を独り言のように話し続けているようなキャラクターだから「水道のハットン」。役の作り込みがすごくて、出てきた瞬間のインパクトも強かったから客席がどっと湧いたのもこのハットンが出てきたとき。自分も笑ってたけど、その笑いってどこから来てるのかと考えると、多分、水道の話を延々と話し続けるようすや、不思議な動き、会話が成立しない感じとかなんだよな、と。それを芝居(=明確な意図)でもって笑いに変えることへの違和感が後からこみ上げてきて、どうしても気になった。今までだったら気にならなかっただろうか。観劇それ自体は、まずは“受け取る”体験であって、その上でいろんな気付きや、新たな感情が生まれてくると思うのだけど、そのなかで無意識のうちに何かに加担してしまっていないか。ある人にとっては居心地よくないものなのではないか。と、少し立ち止まってみるなどした。正解がない世界ではあるけれど、自分がその日そのとき感じたことには、素直に向き合う方が良いだろうから。