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みたもの記録

【舞台】東京ノート -青年団

3月1日 吉祥寺シアター

 

青年団東京ノート。94年の初演以来、各国で上演されてきたという作品。オリザさんの著書やインタビュー等には触れていたものの、青年団の作品は今回はじめてだった。めぐりめぐっての観劇。こういうこともあるのだな。

https://twitter.com/oriza_erst_cf/status/1233520502477594625?s=21

オリザさんのツイートも後押しになった。この状況だからこそ、劇場で東京ノートを観たい。

 

近未来の東京、舞台は美術館のロビー。家族、恋人、友人同士など、いろんな人たちが往来する。そして、それぞれがそれぞれの会話をする。重なり合う会話をすべて聞き取るのは厳しいけれど、むしろこの方が自然なのかもしれない、などと思う。交わらないはずの人たちが、いっときだけ、空間と時間をともにする。東京の美術館という、開かれた場所のおもしろさを感じた。オリザさんの「演劇入門」を買って読んだら、東京ノートを例にとって、たとえば「セミパブリックな空間」や「会話ではなく対話」ということが書かれていて、観劇後だったのもあってとても興味深く読んだ。というのはまた後ほど書くとして、ともかく演劇や戯曲というものにより意識が向いた機会になったのは間違いない。

 

東京ノートはとくべつ大きな出来事があるわけではないけれど、物語の背景として、ヨーロッパで戦争が起こっていて、その戦火から逃れるために美術品が多数日本におくられてきている、というものがある。直接描かれているわけではないのに、美術館に居合わせた人たちそれぞれの中に感じる戦争の影。恐怖や困惑もあれば、自ら戦地に赴いて役に立ちたいという意見もあり、これは「いつか」の話ではなく、ほとんど「いま、ここ」の話なんだなという気持ちになる。そして“戦争”は、いろんなことに置き換え可能だということも。非日常の世界に飛べる、ということも演劇の醍醐味ではあるけれど、やはりこういう現実世界と恐ろしくリンクするような体験ができるのも、自分にとっては大きいなと思う。

 

今回は通常バージョンのみを観た。この設定、この物語が、各国で上演されているのはかなり気になる。戦争の捉え方、描き方も、国が違えばきっと変わるだろうし。インターナショナルバージョンもいつかまた観られるだろうか。

 

自分が足を運んだ日は最終日。はじめて訪れた吉祥寺シアターのロビーは、入場を待つひとや当日券を求めるひとなどでかなり混んでいた。おそらく、私のように他の観劇予定が潰れてしまって、情報を聞きつけて来たひとも少なからずいたと思う。劇場の空気感もなんとなく、同じ思いを共有している気がした。自粛ムードのなかで劇場に来た、演劇を観た、ということ。これから予想されること。予想できないこと。私も観客の一人として、「演劇が続いてほしい」と願った。そのためにできることは何か、も考え始めた。東京ノートをこのタイミングで観られたこと、大事にしたい。終演後の力強い拍手を聞きながらそう思った。