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みたもの記録

【映画】はちどり

3月後半に劇団☆新感線「偽義経冥界歌」を観てから今日まで、劇場には足を運んでいない。配信で作品を見る機会は少しずつ増えてきたけれど、それでもまだ生身?の観劇は先になりそうな気がする。

 

こんな具合で劇場はまだ遠いけど、映画館には行ってきた。LINE Payシネマウィークということで1200円@TOHOシネマズ日比谷(スクリーン13)。いやー、安い。前後左右1席ずつ空けるのもはじめてだったけど、特に問題なくスムーズに鑑賞できた。これ、席を空けてるから早い段階で△表示になるのかな?午前中に15時20分の回を買ったけど、もう△か!と思ってちょっと焦った。購入画面にいったらまだ取りたい席も残ってたし、そんなに気にしなくてもいいのかも。と言いつつも、今回(金曜午後)はかなり満席だった。ユーロスペースの状況も気になるな。

ということで、久々に映画に浸って余韻がすごいので書いてみます。

 

キム・ボラ監督「はちどり」

 

ここ1カ月、Netflixで「愛の不時着」を見て例に漏れずハマり、その後なぜか韓国文学(翻訳本)に流れ、韓国カルチャーが興味の中心を占めるようになったタイミングで見ないわけにはいかなかった。

 

具体的に惹かれたポイントを挙げると、監督は1981年生まれで、自分と同年代と言ってもいい年代の女性である点。これが初の長編作品という点。少女の思春期を切り取った作品(と予想)。主にこんな感じ。ツイッターでおすすめしてる人たちの声を見ると、どうやら昨今の韓国カルチャーに通ずるフェミニズムの要素や、家父長制の話なども文脈としてありそうだなとは予感しつつ、ストーリーはあまり調べずに見たから、結果としてしっくりきたのは良かったというか、腑に落ちた。

 

※以下、ネタバレあり。

 

舞台は1994年の韓国・ソウル。90年代が韓国にとってどういう時代だったのか、何が起きて、人びとはどんなことを感じていのか、そういう時代背景はほとんど頭には入っていなかったけれど、2時間20分の映画を見ることで、当時の空気を吸い込んだ感覚になった。それは決して清々しいものではなく、どこか重たく、暗く、くるしいような。それこそ、中学2年生の少女ウニが見ていた世界の空気であり、感じていた窮屈さや孤独だったのかもしれない。

 

この映画、劇的な展開はほぼない。ドキッとするような描写も、目を覆いたくなるようなシーンもなく、終始淡々と進んでいく。何か意味があるのかな、と思うような場面でも、次の瞬間には別の場面に切り替わっていて、あとで言及があるかと思って少し頭の隅に置いておくも、全く触れられなかったりする。これはけっこう不思議な感覚だった。「意味ありげなシーン」に慣れすぎているのかもしれない。もしくは、つい勘ぐって深読みしようと画面を見つめることが、“映画を観る”ことになってしまっている、そんな気がした。最初は捉えどころがないなとも思ったけれど、日常の断片は無意味なようでいて、少しずつつながっている。意味の有る無しではなく、もっと感覚的に、無意識下でささやかに作用し合っている。本人すらも知らないうちに。

 

一応、まったく何もないわけではないのだ。ウニの母親の兄、つまりウニにとってはおじさんが前触れなく訪問してきたと思ったら、後日亡くなったという知らせを受けて家族で葬儀に出る、とか。ウニが他校の彼氏と他愛ない時間を過ごしていたら、彼氏の母親が現れて、手を引っ張って帰って行ってしまう、とか。いずれも唐突で、あっけない。何か説明があるわけでもない。でもそのあっけなさが日常で、急に現れ、急に去ってゆく、その繰り返しを通して日々いろんなことを考えているであろう、ウニに想いを馳せる。感情移入をするというより、ウニの生活があるその時代の雰囲気を大きく感じとる、という方が近いかもしれない。

 

あと触れておきたいのが、ウニが通う漢文塾で出会うヨンジ先生。30代前半くらいの女性。ウニが心を開き、懐いていくこの先生に、わたしもすっかり魅入ってしまった。窓際でタバコをくゆらせる登場、あれは良かったな〜。ときめくね。中学2年生の多感な少女との距離の取り方が絶妙で、これはウニがヨンジ先生のことを信頼できるひととして認識するのも分かるし、もっと知りたい、もっと話したい、ってなるのも分かる。それまで家族ですら自分に興味を示してくれなかったのに、「この人は違うんだ。私とちゃんと向き合ってくれる大人なんだ」と気づく。それが見てるこちらとしてもうれしかった。ヨンジ先生と出会えて良かったね、ウニ!って。

 

でも、映画の後半で先生はいなくなる。突然塾を辞め、そのあと決定的なことが起こる。劇的な展開はない、と書いたけど、1994年に実際に起きた「ソンス大橋崩落事故」が社会に大きな影響を与えた(というのをパンフレットから知った)一方で、ひとりの少女にも間違いなく衝撃と喪失感を与えることになった。この展開自体は映画のなかの話だけど、でも当時、ソウルでこの事故は本当に起きていて、現実とリンクする部分もあるんだろう。そう思うと、やり切れなさが募った。隣の国のことだけど、知らないことはこのほかにもたくさんあって、知らなければそれで終わるけど、本当にいいんだろうか?と、見終わった今、少しずつ考えている。

 

それだけじゃなく、希望も受け取った。ヨンジとウニのやり取りはすべて好きだけど、特に、入院しているウニを訪ねてきたヨンジが、ふと真面目な顔で「誰かに殴られたら立ち向かって。黙っていてはダメ」と話す場面が好きだった。そのあと姿を消してしまうヨンジ。でもこのとき確かに、ウニにバトンを渡したんだな、と思えた。長い人生を歩んでいくであろうウニが、この先いつか立ち止まったとき、孤独を感じたとき、寄り添ってくれる言葉がある。それは救いだな、と思う。救いであってくれ、という祈りにも近い。ここにもやはり当時の時代背景が絡んでくるようだけど、ヨンジが自分の世代で実現しようとしたこと、でも叶わなかったこと、感じてきたこと、そういうものが14歳のウニ(そしてきっと、ウニだけではない)に手渡されたことで、何かが変わるかもしれない。手渡す時点では未来は分からないけれど、手渡すことが大事だよ、ということ。そういうのを感じ取って、私も励まされた気がした。誰か一人にでも自分のメッセージを伝えることで、つながるものがある。逆に、断ち切れるものもある。94年に中2のウニは、ちょうど「82年生まれ、キム・ジヨン」と同じ年代ということになるらしい。それもあって、このはちどりという作品が今支持されていることも納得できる。

 

できれば、もう一度映画館で観たい。ウニのまなざしを通して考えたいことがたくさんある。