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みたもの記録

【映画】リーマン・トリロジー(NTL)

2月20日(木)

 

念願の、初ナショナルシアターライブ。サム・メンデス演出の3人芝居。

https://youtu.be/JXHOOK4bQVo

 

元々NTLiveに興味があったこと、そしてツイッター上で期待の声が多かったこともあり、行くことを決めた。海外の演劇作品には今までほとんど縁がなく、去年の東京芸術祭「暴力の歴史」以来二度目の観劇(観賞)。芝居を見ながら字幕が追えるのか、221分という長丁場で集中力が持続するのか、話を理解しきれるのか、など不安点もけっこうあったけれど、実際のところそれらはほぼ問題なかったのでホッとした。3人で160年にわたるリーマン一家の栄枯盛衰を描く、ということで、それはそれは膨大なセリフ量だったけれど、テンポよく掛け合いがつづいたおかげで飽きることは一切なかった。あとは、意外にも難しい用語はそこまでなかったこと、役者3人の演じ分けが凄まじかったこともポイントかもしれない。子どもから青年、高齢者、ジェンダーも自在に行き来して何役も表現する。でもそれが自然で、違和感がないのがすごい。さっきまで赤ちゃんを演じてたと思ったら中年男性にもなるし、自ら語りも担う。そんな複雑であっても観客が戸惑わないで済むのは、前述した通り、セリフのテンポや、構成の巧みさなんでしょう。こんな私みたいな海外演劇に慣れてない初心者でもちゃんと楽しめるんだな、という驚きとうれしさ。次につながるいい体験になった気がする。

 

リーマンショックという、アメリカ経済の大きなトピックに至る話であると同時に、160年にわたる家族の話であることが面白く、この作品と自分の距離を縮めてくれた気がする。多世代を描く物語に惹かれるのはなぜだろう。ナイロン100℃の「百年の秘密」を観たときも同じことを思った。子どもから大人へ、そしてまたその次の世代へと話が移り変わっていくと、当然ながら時間の経過を目の当たりにする。それは切なく、悲しくもある。時間の経過は誰しも避けられず、無力に思えるけれど、その一瞬にして過ぎゆく人生のなかでひとは何をするのか、何ができるのか、何をしたいのか。そういうことを、自分の身に置き換えて向き合える。思考を深いところまで持っていける。だからこういうファミリーヒストリー的な話は、一見壮大なようでいて人間のアイデンティティみたいなものを見せつけ、抉ってくるから、他人事に思えず目が離せないんだろうな。

 

あ、プラスの感想ばかり書いたけど、一つ思い出した。子どもの頃からすべてを論理立て、戦略のもと遂行してきたフィリップ・リーマンが結婚相手を探す段になり、いろんなタイプの女性に点数をつけて、自分に見合うひとを探すというシーン。「そういう時代」と一括りにすれば終わるけど、見てていい気持ちにはなりませんわな。結局、彼は最高得点の女性ではなく、家庭的かつ奥ゆかしい(確か)85点の女性を選び、自分のしごとを献身的に支えてもらうわけだけど。なんかこう、人間は長いこと男性と女性という分け方のもと、序列をつけて物事を進めてきたんだな、という事実を突きつけられる思いがした。そのあとチラッと、のちに州知事になる…何リーマンか忘れてしまったけど、彼だけが「なぜ伝統だからといって女性が不公平な扱いを受けるのか」と発言していて、ほう…となった。そのシーン一瞬で終わったけど。こういう話を素通りはもうできなくなったから、今後も気になったことはちゃんと記憶しておこうとおもう。

 

 

3月からブロードウェイで公演されると知って、いつか来日版もないだろうかと期待したり、日本の役者でこれを成立させることは可能なんだろうかと考えたりしながら、次の機会を楽しみにしていたい。

 

【舞台】天保十二年のシェイクスピア

2月15日(土)日生劇場

 

これはきっと、噛めば噛むほど味わいが深まる作品なんだろうなと思う。観劇から一週間経ち、細部は忘れてしまってるけど、作品の熱量はしばらく忘れられそうにない。めちゃくちゃ刺激的だった。

 

まず、オープニングから。「もしもシェイクスピアがいなかったら」でいきなり度肝を抜かれた。この皮肉を言えるってすごい、これを観客として聞けるってすごい。タイトルにシェイクスピアと入ってる以外、どんな風に物語が描かれていくのか全く情報を入れていかなかったから、「あぁ、そういうことか!そうくるのか!!!」と、ちょっと興奮した。「飯の種」って言われてますけども。でもほんとそうだもんな、どう考えても、演劇をやるにあたってシェイクスピアは必須科目。避けては通れない。そして役者の多くが憧れて、常にどこかで作品が上演されてる。自分なんか37作品中ほとんど観れていないけど、それでもなんとなく分かるもんな。演劇界におけるシェイクスピア先生の存在の大きさというやつは。

 

長くなったけど、とにかく冒頭からやられてしまった。長丁場の舞台だけど、これはちゃんと食らいついていかねばと思ったし、絶対自分はすきなやつ、と。井上ひさし作品は、昨年のこまつ座「木の上の軍隊」に次いで二度目。小説家であるのと同時にすぐれた劇作家である、ということは、その時詳しく知ることとなった。一つ前の記事のロロ・三浦さんにつづくけど、こちらもまた東北。そして、演出の藤田さんに至っては同郷。やはり自然と惹かれてしまうものなのかもしれない。劇作家・井上ひさし氏のすごさについて木の上の軍隊で少し触れたつもりでいたら、今回はもう思いっきりやられてしまった…という感じ。私は全然知らなかったんだな。今回改めて知れて、観ることができて良かった。テンポの良い台詞回し、ちりばめられたシェイクスピアのエッセンス、エロさグロさの配分、社会への皮肉、抵抗、諦観。とにかく、あまりにもいろんなことが詰まっていて、圧倒されつづけた。ディテールを拾ってゆくには自分の脳みそのキャパが足りない。それくらい、熱量が凄かった。演出・藤田さんのことばにもあったけれど、一見シェイクスピアに見えるものの奥には江戸時代の侠客の世界があり、講談「天保水滸伝」の話かと思いきや再び広がるシェイクスピアの世界。そしてそれは、各キャラクターのホンネとタテマエ、表と裏、そういうのにも全部つながってくる。こんなに緻密で深い物語なのかと驚く。想像以上の世界だった。

 

メディアでもよく取り上げられていたのは久々の舞台という高橋一生。今回はじめて生の芝居を見て、やはりすごい役者なんだなと、つたない表現しかできないけど本当にそう思った。佐渡の三世次。リチャード三世などのいろんな悪役をつめこんだこの役、今振り返ってみても、私はそこまで悪役には思えなかった。彼の意思はあるようでなくて、悪を働いてる意識もそこまでなくて、時流を読むのがあまりにもうまく、達観してるために、最終的には思いがけないところまで辿り着いてしまったという印象。三世次は、どこまでが彼の意思だったのか読めないところが面白い。悪か悪じゃないかのスレスレの感じが、高橋一生の演技の妙だったのかなと。そんなに詳しく語れないけれど、彼の声色や表情って、あまり感情を読み取れない気がしていて。それが今回ほんとうにピタリとハマったのではないかなぁ。悲劇と喜劇、その真ん中で浮遊するような三世次を、私は悪役とは呼べない気がしている。

 

次いで、きじるしの王次。こちらもまた魅力が爆発していましたね……なんだかんだはじめましての浦井さん、登場からあまりにも"主役"で素直に「やられた!!!!」と心の中で叫んでしまった。まず、この王次という役がとても魅力的。三世次につづいて、こちらもまた二面性があるキャラクターで、はつらつとした姿を見せつつも、「問題ソング」の歌詞にあるとおり終始葛藤してる。王次はロミオとハムレットを投影した役だものな。その不安定さが生み出す悲劇は、シェイクスピアの引用と分かっていても暗澹たる気持ちになったし(ここで思い出す「女は弱い、などという誤解」の歌詞)、王次のあっけない最期になんとも言えない脱力感を覚えたりした。

あと浦井さんについて少し。演技してるところをほとんど見たことがなかったから、いつもニコニコホワホワしてる印象だったのだけど(笑)王次のあの振り切り方!格好良さがハンパなかった!若いエネルギーと色気のバランス!かなり心を掴まれてしまったので、王次が途中でいなくなるのが寂しすぎました。

 

そしてなんといっても唯月ふうかちゃん。ヒロイン2役を演じ切っていて本当に素晴らしかった。若手のなかでも、かなり胆力のある役者さんなのではと常々思っているけれど、今回で確信した。前半のおみつの転身具合もしびれたけれど、主張が強くないおさちという役が、実は最後にとんでもなく重要な、三世次と対峙するシーンを担うという。ここすごかった。何ならちょっと息を止めてしまった… 

 

他にもまだまだ、パンフを読み込んで書きたいことはあるけれど、観劇の感想としてはこのへんで。上半期かなり上位に食い込むのではと思ってる。

 

 

 

 

【舞台】四角い2つのさみしい窓 -ロロ

2月11日 こまばアゴラ劇場

 

お初にお目にかかったロロ。ずっと気にはなっていて、この新作公演の知らせがあってすぐチケットを取った。劇場は、コトリ会議ぶりのこまばアゴラ。今後も足を運ぶことが増えそう。

 

事前に知り得ていた情報のうち、「サブカル要素がつよい」というのが特に印象としてあった、劇団ロロ。今回やっとそれを体験できた。劇中のBGMが「なるほどこれは一定の世代にはエモいわけだ」となった。自分はドンピシャではないのでエモさを肌で感じることは出来なかったけど、なんとなく会場の空気感からしてそう思った。

 

今回の作品について。ナタリーに載っていた三浦さんのことばを引用すると、「(集団の)内側で繰り返される別れと再会」。ある劇団を舞台にした出会いと別れ、複数の関係性がパラレルに展開されていく。かなりテンポよく場面とキャラクターが入れ替わるから、慣れるまでは若干戸惑ったけども、一人が複数のキャラクターを演じる、しかも舞台上で瞬時に切り替わるって演劇的だな〜とおもしろく思えた。同じ役者が、並行する世界(実際は同じ世界なんだけども)の別の人物を演じることで生まれる解釈って、まちがいなくあるものな。今回でいうと、亀島さん演じるサンセビとムオク(だったかな、名前)は、昔劇団にいたムオクに似ている、というサンセビが「自分を劇団に入れてほしい」と懇願するところから物語がはじまる。その後、並行線がいつしか交わり、2人の思いがそれぞれ際立ってくる。他のキャラにしてもそう。個人的には、篠崎さんが演じてた役の声色とセリフの間がツボだった。

 

ボーイミーツガールはわりとすきなはずだけど、感じたのは、「自分はもしかして、小さいコミュニティが舞台となって起きる話は意外と苦手なのか?」ということ。なぜだかは分からない。今回たまたまかもしれないから言い切れないけれど、「集団」に居心地良さをあまり感じたことがないからか?とか。こう書くとちょっと寂しいが…。"集団において結び直されていく関係性"に感情移入はできなかったけれど、出会いと別れが一方通行ではなくて、出会って別れ、また別れて出会う、それが何度も可能なんだ、というのは1つ救われるポイントだなと。

 

あと、これは事前に知らなかったことだけど三浦さんは宮城の方なんですね。今作でも東北を感じる部分があって、そうなのかなとは思ってた。震災に言及しているインタビューとかも探せばあるのかな。東北出身の身としては、やはり、同じく東北をルーツにもつ人がどんな風にふるさとを思って、それを自分に落とし込んでるか、みたいなところが興味ある。そんなわけで、ロロについては今後も動向をチェックして、また見に行きたいな。と思っていたら新作がかかるとの発表!タイミング!ワンシチュエーションの会話劇、たのしみです。

 

ミュージカル「フランケンシュタイン」〜Act2・真ん中の2人の話

1月30日(木)11:40、日比谷駅到着。今月何度目かのA13階段を上がって、目の前の日生劇場へ。開演前のこういう一連の流れ、妙に覚えてたりするんだよな。冬の日生劇場。人によっては全く違う演目を思い浮かべるんだろうけれど、私のなかでは完全に「=フランケンシュタイン」になった。

 

ちょっとだけ自分のはなしを。

もう、すっ飛ばしていただいて構いません……ただ書きたいだけなので…

 

東京公演千秋楽。幕が上がった当初は、正直行くとは思ってなかった。「同じ公演は多くて3回まで」というルールを課した去年は、結果的にいろんな作品を観る余裕がうまれ、いいかたちで一年終わることができた。今までの偏りを反省した、その矢先だった。2020年観劇計画が狂うことになったのは。

 

1月8日、ミュージカルフランケンシュタイン開幕。

 

もちろん行くつもりで既に(個人的上限の)3公演分はチケットを押さえていたし、いずれも初見の友人たちと観る予定にしていて、相当楽しみにしていたのだけれど。「あれ、これやばいかもしれない…手持ちのチケットだけでは足りないのでは…」と発作的に思ったのが観劇2回目の1月19日。2クール目ラスト。この日に見ちゃったんだ、柿澤×小西のビクターとアンリを。ツイッターでいろいろ感想検索してみると、「かきこに  地獄」というヤバめのサジェストが出てくるくらい、一部で囁かれていた都市伝…ではなくダブルキャストのうちの1組。それ自体が特別なわけじゃないし、自分も「違う組み合わせを楽しもう!わーい!」くらいのライトな感覚で臨んだ。はずなのだが。「このかきこにペアを1回しか観れないなんて………!それはダメだ!」と謎に焦り、東京楽がこのペアだということを確認すると、翌日すぐに有休申請とチケット手配。そんな流れでした。

 

◼︎同じ熱量でぶつかり合う面白さ

ここからやっと本編のはなしをします。いや、本編というのかなこれ。前述したように、ビクター役の柿澤さん、アンリ役の小西さん、この2人のことを界隈では「かきこに」と呼んでいることに倣い、新参者のフランケンゾンビこと私もそう呼ばせてもらいます。かきこに。良い響き。

 

振り返ってみて、私が「かきこに」ペアのどういうところにハマったのかというと、ビクターとアンリという2人の根底に、対等な関係性を見出だせた組み合わせだったからだと、個人的には思っている。柿澤ビクターと小西アンリは同じ熱量、同じベクトルで互いにぶつかり合って、削り合って、いのちを燃やしていたように見えた。それを1幕という限られたなかで、【出会い〜対立〜もっと知りたい期〜親密期〜突然の危機〜(主にアンリの)感情がスパーク〜ビクター葛藤〜終わりの始まり】と、ギュッと凝縮させるんだからすごい。めまぐるしいにもほどがある。

対立から信頼へ、信頼から愛情へ。刻一刻と変化させながら、最後にアンリは思いっきりビクターのこころとからだを自分からドーーーンと突き放し、だけど(自分不在の)未来はしっかり託し、これ以上ないというくらい潔く散る。前回記事でも触れたけれど、加藤和樹アンリは、私が見た回では雑念なく晴れやかに散ってゆき、小西アンリは逆に、生への執着を最期まで抱き続けながら、それを振り切るように散る。ダブルキャストで、ここまで見え方が変わるのか、とふるえた記憶。

 

そんな荒波展開のなかで描かれる、互いに影響し合い、認め合い、あるいは引き寄せ合ってそこに立つ2人。劇中ではビクターがアンリのことを、「仕事上のパートナー」と紹介するけれど(このときのアンリの表情が絶品)、物語が進むにつれて、明らかに「パートナー」という言葉に込められた意味が複数あることを気づかされる。あなたたち、ただのパートナーではないよね、と。1幕後半、どうしたって互いの存在が無くてはならない心理状態に陥ってるし、一方が欠けたら何が起きるんだろう………(それを描くのが2幕)と不安にすらなる。絶対、この2人の行く先に幸せはない。そんな絶望を予感してしまう1幕。暗澹たる気持ちになるものの、怒涛の展開や楽曲のパワーに飲み込まれながら、とにかく見ずにはいられない、何とも言えない吸引力が、この作品の持ち味なんだろうなと実感した。全体をまとう空気感、描かれてる現代の闇、みたいなものも勿論興味深いのだけど、やはり惹かれてしまうのは真ん中にいるビクターとアンリ、この2人の関係性の変化だった。2人の感情が1幕と2幕でぐっしゃぐしゃにシャッフルされるからこそ、一言では到底表せず、見た人の数だけ多彩な解釈にもつながってくるんだろうなと。だからこうして書いていても、着地が分からなくて悶々としてしまうわけだけども。

 

◼︎ビクターとアンリの見つめた先/北極にて

ここは何度考えてもよく分からないと先に言ってしまうけれど、北極で最後、2人だけの、2人ぼっちの戦いをする。いや、ビクターとアンリはずっと2人ぼっちだったか…それを願ってたからこそのラストなのか。

 

北極の前に歌う「♪傷」、これはどう考えても99%はアンリの人格で歌っていると思っていて。いや、歌い出しは半分くらい怪物かもしれないけど、少しずつ融解していき、怪物の奥底にあるアンリの人格が在りし日のビクターとの思い出をなぞることで、怪物としての人格?を溶かして再びアンリになる、という感じ。何言ってるかわからんな。うん。「一人の男がいた/本当は弱いくせに/神になろうとした」なんて、アンリじゃなきゃ歌えないだろう〜〜〜????お前アンリだろう?????と思ってしまう。「本当は弱いくせに」って、ビクターのこと知らなきゃそんな「かわいい相棒め」みたいなニュアンスで歌わんだろう。。。と、思ってしまったからもう、苦しい。ずるい。

 

ちょっと脱線した。

北極という最果ての地で戦う2人は思いのほか肉弾戦で、なんだかちょっと微笑ましいのだけど(?)そういう捨て身な感じ、ギリギリのところでエネルギーぶつけ合ってるのがまた、柿澤ビクターと小西アンリは絶妙に危ういバランスで成立させていて、それゆえ、やっぱりここの場面ではすでに怪物ではなくアンリなのかな、という気持ちにさせられる。途中でアンリの人格がめざめて、ただ、100:0というよりは混ざり合ってる感じ…

 

そんなわけで最後2人は相打ちとなり、でも一歩だけアンリ(もはやアンリ)が譲り、ビクターに己を撃たせ、「これが復讐だ、ビクター!」と言って事切れる。この、自分の名前を呼ばれたときのビクターの心境たるや。負傷した脚を引きずりながら、駆け寄ってやさしく髪を寄せ、怪物(と思って対峙したはずの)顔にアンリを見て、ひとり慟哭する。ぱっと見、復讐を果たした怪物と、復讐されたビクターという構図なのだけど、そもそも怪物を奥底で動かしていたのはアンリの人格かもしれず。でもそれだと、1幕の彼はどこへ……?となるし。無限の解釈ができてしまう。

すごく雑だけど、なんとか着地をするならば、「新たな世界 描く君の夢の中で生きよう」(♪君の夢の中で)をやり遂げたのかな、アンリは…とも思う。やり遂げたというか、すべてをここで終わらせた。怪物による、“自分をつくりだした創造主に対する単なる復讐”ではなく、怪物の中にあるアンリとしての、愛ゆえの最後。自らの手でビクターを止め、生命創造を2人だけの夢として封印し、北極という地で心中することで2人は永遠となっ………………………

 

 

 

いや感情がデカいな

 

 

こういうデカい感情と感情のぶつかり合い、概念云々、という話に持っていってしまうとどうしても浅くなってしまう気がするのだけど、うーーーーん、フランケンではそれも一興か、となって、また沼でちゃぷちゃぷする…その繰り返しである。賛否はあるのかもしれないけれど私はそれにハマってしまった。

なんか、うまい例えではないけれど、受験のときの現代文を解いてるみたいな感覚だな、と。フランケンシュタインは文章読解。こんな一つの作品で頭ひねることある?ってくらいぐるぐる考えてしまっている。あの2人は何を目指し、何を感じて、何を思い浮かべながら最期を迎えたのか。終わりがない。

 

 

こういう話と同じくらい、キャストのここが良かった!好きだった!最高オブ最高!みたいな、別次元でキャッキャ楽しんでる自分もいるんだよなぁ。柿澤ビクター、すごく好きだった。孤独なんだろうけど、溢れ出る愛され感。「坊ちゃん!坊ちゃん!」となってしまうルンゲの気持ちもよく分かる。あんなに魅力的に疾走する様を見せられたら、アンリが“恋”に落ちるのも無理はない、と思ってしまう。そして小西アンリがまた、柿澤ビクターの熱に(水面下で、確実に)心を動かされている様が本当に本当にうまくて、繊細で、でも強くて、憂いがあって…素晴らしかった。感情の動きに説得力があった。そのあたりの表現がピタリとハマる2人だったからこそ、ここまでグッときたんだろうな。良いものを見せてくれてありがとうと言いたい。

 

 

前回の記事以上に何が言いたいのか分からなくなってしまったけれど、ひとまず終わります。

このあと名古屋、大阪とつづくであろう熱狂を見届けたい。こんなにも楽しませてくれたフランケンシュタインという作品そのもの、そしてキャスト・スタッフへの感謝を込めて。

 

 

おしまい。

 

ミュージカル「フランケンシュタイン」〜Act1

2020年は見た作品についてコンスタントに書くことにしたんでした。すべては無理でもなるべく。あとで自分が読み返すための記録として。

 

そんなわけで今年一発目は1月11日のフランケンシュタインよりスタート。このあと書くのは昨日25日に見た公演の話がメインになりそう。

 

年明けにふさわしいハッピーエンディングミュージカルでしたね、えぇ(柿澤さんの発言参照)。というのはポスタービジュアル見ても違うということがまぁわかるし(笑)地獄へようこそ感がすごい。ただ、地獄地獄とは言うけれど、一体なにが地獄なのかと。うわさは耳にしてたから早くそれを自分の目と耳で確かめたくて、本当に楽しみだった。何せ、昨年2月に柿澤勇人という役者をはっきりと認知し、その時点で次に決まっていたミュージカルがこのフランケンシュタインだったから。いやー、待ってましたよ、心の底から。

 

前段このくらいにして、本編の話。

 

原作はあまりにも有名な小説。とは言え読んだことはないけれど、ゴシックホラー、ゴシックロマン。この時点でだいぶ好き。元の話を大胆に脚色してるというから、舞台版として大いに楽しめそうだなというのが最初の印象。そして見どころとして、Wキャストも通常とはやや違うのが面白い。同じ役者が一つの作品のなかで二役演じ分ける。だから単純に役者の組み合わせだけじゃなく、役の組み合わせも追加されるから、そりゃ解釈があふれまくるよね……と納得するなどしました。

1幕:柿澤ビクター×加藤アンリ

2幕:柿澤ビクター×加藤怪物/アンリ

         柿澤ジャック×加藤怪物

これがあと柿澤×小西で2役ずつ、中川×加藤、中川×小西でも2役ずつ。いやこれ大変な世界だ。実に複雑。ハマればタノシイ。

 

このブログ書くために感想を紙に書き出したら止まらず、何ページ書くんだよ、って引くくらい書いてしまったので(笑)かいつまんで綴りますが、結論から言うと自分はどっぷりハマるタイプの作品でした。だからここまでいろんな感想や解釈を眺めて楽しめてる。正直、考察が得意な方ではないからいつも他の方の考察を読んで「なるほど」と分かった気になって終了してるけども、今回に限っては自分もあたまをいろいろ捻りたくなってしまった… それは前述したWキャストの妙かもしれない。作品としての(いい意味での)余白の多さかもしれない。年明け早々、ここまでのめり込んでしまって大丈夫かという気もしないでもないけれど、その心配は一旦置いときます。

 

ざざっといきます。まず1幕。

◼︎オーバーチュア〜実験室

オーバーチュア大好き芸人としてはそこからの例のシーンへの流れ込み方がいい感じに不穏でとても良い。不穏、好き。映画も舞台もEDよりOP重視派なので今作もその点で私好み。

 

◼︎シーン2 研究室/♪ただ一つの未来

ビクターとアンリのバチバチ感がたまらない。才能と才能、出会ってしまったのかここで…!ここから始まってしまうのかーーー!!!と高揚してくるアドレナリン楽曲「ただ一つの未来」。なぜアンリはビクターについていくことにしたのか?が描かれる大事な場面でもあるから、歌詞を聞き取りたい(課題)。純粋に研究に突き進むビクターへの尊敬、羨望。出会ったときのことを回想する曲で「君は太陽さ」と表現するほど、ビクターのまぶしさに惹かれたアンリ。アンリという人物をここまでにしてしまうビクター。恋愛ではない(と思う)けれど、確実に友情を超えたものが見え隠れする二人の関係性。すでに苦しい未来が見える…。

 

◼︎シーン4/♪孤独な少年の物語

幼い頃母親をペストで亡くし、その母親を生き返らせようとしたことがきっかけで人生が変わってゆくビクター。やはりここで少年を突き動かすのは母なんだなぁという感想をぼんやり抱いてる。父ではなく母。なんでしょう。絶対的な存在としての母?

子ビクターと子ジュリアの身長差がたいへんに微笑ましい。あとでビクターが身長を越したんだね、とニコニコしちゃう。子役ちゃんたちの演技、歌のうまさに舌を巻く。

 

◼︎シーン5 酒場

はい来ましたよ酒場!私のだいすきなシーン!いや見た人みんなすきだよね。見なくても好きだと思うし(?)全体を通してマックス幸せなシーンであり、これが1幕早々に訪れ、それが一瞬であり、直後に一瞬で落ちるという現実。ジェットコースターでいえば最初のヤマを登りきって一旦ふわっと停止してる、まさにそんな場面です。刹那的酒場。わちゃわちゃしててほんとうに楽しそうなんだけど、そのあとを予感してしまって泣ける。つらい。

 

♪一杯の酒に人生を込めて

ビクターとアンリが互いに打ち解けあい、語り合い、酒を酌み交わしあって名実ともに良きパートナーということを確信しあう尊いナンバー。書いてて泣けてきた…。エレキがキュイーンと鳴るのも、ジャジーな始まり方も最高オブ最高。

 

ちなみに、パンフに歌詞が載っていたので、思う存分解釈を広げてみたところ、ちょっと気になる箇所が。

一杯目は憂いを込め、もう一杯は不安を」(アンリ)

それを受けて、

一杯目に絶望を込め、もう一杯は怒りを」(ビクター)

これどういうことだろか。アンリは憂い、不安。ビクターは絶望、怒り。ビクターは何となく、酔いながらブツクサ言ってるから絶望や怒りというワードに違和感ないけど、アンリの憂いや不安とは…?そう思って前後の場面を思い出すと、これのあと、ふたりはコップを持った腕を交差させて、互いのコップから酒を飲む。「おとこたちのアツい友情かー!」となってたけど、この交差させるやつ、毎度やってます…よね?繰り返しになるけど、アンリが一杯に込めた「憂い、不安」を飲むのはビクター、そしてビクターが込めた「絶望、怒り」を飲むのはアンリ。※これちがうwww 腕交差させても飲むのは自分のコップに入った酒だからなんの深読みでもないwwwということを観劇中気づいて笑いをこらえるのがつらかったです(1/27ソワレ)なんとなく、その後の二人を予感させるようでゾッとしてしまった。アンリ(便宜上のちの怪物)は、絶望や怒りで復讐へと走る。一方のビクターは自らのしたことが巡り巡って精神的に追い詰められ、常に不安と後悔が付きまとうようになる。うーーーん。さすがにここまではないか。でもこうして見ると、あの酒場のシーンの重要性も増してくるから面白い。

 

◼︎シーン6 法廷、ビクターの部屋

ここもまぁ重くてつらくてしんどくてだいすき…(基本重いのすき)2幕へ向かっていく1幕の終わりとしてとても大事な場面。ビクターの葛藤がいよいよ加速していく、独白楽曲♪僕はなぜ。歌詞くれ妖怪になってしまうんだけど、ざっくり言うと「自分の身代わりとなって死のうとしてる親友アンリを助けたい、でも数パーセントは己の生命創造という研究のためにその首がほしい。いやでも……」という葛藤に次ぐ葛藤、そして苛立ちがバンバン伝わってくる。アドレナリンがやばい。柿澤さんの華麗なるマント捌きもまず一発ここで披露されます。正面に向き直るとき片手で布を持ち、回転と同時にバサァ!!が至高です。

この苦しみ、のたうちまわる柿澤ビクターから放たれるロングトーンから、場面切り替わってスッと次のセリフへと移るのが毎回静かにときめいてしまう。という個人的な感想。

 

◼︎シーン7 刑務所〜処刑場

♪君の夢の中で(アンリ)

これまた無限解釈楽曲ですね… 加藤和樹さん、小西遼生さんという二人が演じるそれぞれのアンリによってだいぶ受け取る印象が変わるという不思議。ちなみに、和樹アンリはほんとうに晴れやかな表情で歌い上げるけど(見方によっちゃサイコパス風味)、小西アンリはどこか苦しみが混じったような複雑な表情をしていて人間味があり、両方見ちゃうとアーーーもう混乱!!!!となります。なんという沼。

メロディはとてもさわやかかつキャッチー、覚悟を決めたおとこが親友へと送る旅立ちのメッセージ、という名の激重ラブソング、という名の呪いの遺言みたいな曲なのだけど(あゝ地獄)、多重に意味を含んでいておもしろい。すごく。これはおそらくずっと話せる。

こちらもありがたいことに、パンフレットに歌詞が記載されており、個人的にとてもしんどくて好きなのが、「君が見せてくれた未来は/ここで終わるけれど どうせ/あの日君に出逢っていなけりゃ/この人生なんてなかったのさ」です。はー、つらいぜ。これを実に清々しい笑顔で歌い上げ、未練などない!君を信じてる!あとは任せた!といった様子で断頭台へとスタスタと向かう和樹アンリ。潔いかよ。一方、歌いながら日によっては(私が見たときは)うつくしい涙が頬をつたい、つらさを必死に振り切って笑顔を絞り出してるような小西アンリ。なんでここまで違うんだ…俳優さんはすごいなとしみじみ思います。

前後するけど、刑務所で面会するビクターは最初こそ「どうして君が死ななくちゃならないんだ、僕が真実を話すから一緒に行こう…!」と言うのに、アンリに「(真実を話したことで)僕じゃなく君が死んだら研究は誰がやるんだい?君しかできないんだよ」と諭されたあたりはもう子どものように泣きじゃくっていて。和樹アンリは既出のとおり穏やかな笑顔で菩薩のようなのだけど、小西アンリは、"ビクターの泣き顔見たら死ぬのをやめたくなりそうで見てない"ようにしか見えず、よりつらさがダイレクトに伝わってくる。そりゃつらかろう。一緒に生きていこうよ…ってなっちゃう。キャストによって引き出し合う感情はこうも違うのだなぁ、と感慨深くなる場面。

 

ひと呼吸置いてまだつづきます。

 

「君の中で生きるよ」なんて、古今東西使い古されたフレーズだけど、今作では前提として、アンリは一度戦場で殺されかけたところをビクターに助けられてる。興味深いのが、その死一歩手前のアンリはもはや状況を受け入れていて、本来は助けを求めてはいなかった。生きようとはしていなかったという点。ビクターもまた、アンリに対し同情とかではなく、恐らくは自らの研究のプラスになりそうという理由でアンリを助け、仕事仲間とする。だから出会ったときは互いにゼロスタート。友情も何もない。そんな二人が、1幕ラストでここまで感情の揺れ動きを見せるのだから不思議だし、見る方も惹きつけられてしまう。「あのとき助けてくれてありがとう」ではなく、「あのとき助けてくれて(寿命が伸びたおかげで、君というフィルターを通してこんなに面白い世界が見れたよ)ありがとう」なんだろうな、という気がする。全体をとおして、アンリの心の動きがかなり興味深い。そして読めない。

 

そんなふうに、「君の夢の中で生きよう!」と晴れやかに言い残して死ぬのに、2幕では怪物がその"君の夢"を終わらせにかかるんだから、なんともこれぞ地獄か、というフランケンシュタイン

 

そろそろ1幕が終わるのでこれだけ。って、まだ2幕にすら突入してません。やばい。

◼︎シーン8 実験室

♪偉大な生命創造の歴史が始まる

今作のメインナンバーともいうべき一曲。これは初演のプロモーション映像で何度見たか分からない。ようやくお目にかかれてうれしい。

先ほどまでの、アンリとの別れで心を引き裂かれ、衰弱したようなビクターはどこへやら。死んだばかりのアンリの首を持ち、愛おしそうに抱えながら禁断の生命創造へと突き進むビクターはもはや狂気。それが爆発するナンバーですね。「神よ、祝福を」で十字をきるのがたまらないのは私だけではないはず。そして「さもなくばいっそ呪いをかけろ何も畏れぬ」まで、一気にかけのぼる感じがすごくすごく良い。アドレナリン楽曲ですこれも。実際怪物をつくりだしてしまうわけだけども、実験が成功、やった!アンリがいきかえった!(ではないのだが)一転、怪物の誕生つまり己の破滅へのカウントダウンといった感じで事態急変し、鎖からの銃からの逃亡からの「アンリーーーーーッッッ!!!!!」と叫び、幕。

 

くるしい。くるしすぎる。なんじゃこりゃ。

一発目の観劇のときは情報量が多くて目まぐるしくて、体力も奪われるしで、席から立ち上がれないほどの疲労感だったのを覚えてる。

 

ここまで書いておいてなんですが、2幕は同じ記事内でつづけて書ける気がしないから一旦おわります(笑)雑すぎるな。2幕はさらに怪物とアンリについての解釈が飛び交うから、正直自分の感想メモが収集つかなくなっており。まったくしっくりくる着地ができておらず… 東京楽か、千秋楽が終わったらまとめるかもしれません!いや、まとめきれないかもしれない!

 

だらだらとした文章を、もしここまで挫折せずに読まれ方がいらっしゃったらお詫びを申し上げたい。着地のないブログですみません…!こんなに長文でまとめるブログのつもりなかったのに、一発目がフランケンだったもので…自分の首をしめてる気がする。次の作品からはあっさりいきます。あっさり。多分。

 

 

2019年みたものまとめ

いつもnoteにまとめてた現場振り返り。今年は舞台をみることが一気に増えたので、ちょっと数え方を変えて「観劇まとめ」として書いてみることにする。回数ではなく演目数で。全部にはコメント出来なそうだけどもなるべく書きます。

さて、年内更新は間に合うか!(書き始め29日)


【1月】
■新春浅草歌舞伎@浅草公会堂
一部
・戻駕色相肩
・義賢最期
・芋掘長者
二部
・寿曽我対面
・番町皿屋敷
・乗合船惠方萬歳

■ナターシャ・ピエール・アンド・ザ・グレートコメット・オブ 1812@東京芸術劇場プレイハウス

〈1月振り返り〉
歌舞伎にハマった流れそのままに、浅草からスタートした2019年。どの演目もすきだけど、芋掘長者が晴れ晴れとしていて良かった。巳之助さんのくるくる変わる表情や踊りも堪能できて、最後はみんな幸せになれる演目。あとは何といっても番町皿屋敷。旗本と腰元という身分違いの悲恋を、隼人さんと種之助さんの2人が演じていて、見応えあった。お菊の散り際の儚さに泣かされたなぁ。この2人でぜひまた見たい!/グレコは、劇場でサントラ買うくらいツボだった。理由は色々あるけれど、ストーリーそっちのけで主人公(芳雄さん)がマトリョーシカしてたり…かなり不思議で面白かった。芳雄さんが歌う「塵と灰」、今年みた作品中の歌唱曲でいちばんすきかもしれない。


【2月】
■Endless SHOCK@帝国劇場

■唐版風の又三郎@シアターコクーン

■世界は一人@東京芸術劇場プレイハウス

■二月大歌舞伎/夜の部
・熊谷陣屋
・當年祝春駒
・名月八幡祭

〈2月振り返り〉
今年のSHOCKについてはいろんなところで書いたから割愛するけども、とにかくシンプルに、「舞台に立ち続けることの奇跡」を噛み締めた。2020は今年の分も出し切ってほしい。/風の又三郎は当日券、立見約3時間。アングラ演劇というものに少し触れた気がする。いま観客が若返ってると話題の唐組紅テント、行かねば。/プレイハウスで世界は一人。去年の百年の秘密(ナイロン100℃)もそうだったけど、人生をなぞっていく物語すきなんだよな。「音楽・前野健太」も良かった。/名月八幡祭。ニザ玉のいちゃいちゃ。からの松緑さんの凄み。すごいものを見た。


【3月】
■Red Hot and COLE@博品館劇場

■トリッパー遊園地@新橋演舞場

■空ばかり見ていた@シアターコクーン

■三月大歌舞伎/夜の部
・盛綱陣屋(幕見)

■Endless SHOCK@帝国劇場

〈3月振り返り〉
Red Hot and COLEは作品とハコ(博品館)がぴったり合っていて良かった!トリッパーは戦争の描き方がしっくりこなくてウーン…となってしまったかな。からの、同日はしごで空ばかり見ていた。初の岩松演出。セリフが難解と聞いていたけど確かに。岩松了の系譜、みたいなワードを今年聞いたのでそのへん深堀りしたい。舞台に漂う空気が独特な作品だった。森田さんの声がとても印象的だった、ということをnoteに書きました。(と言いつつリンクがうまく貼れない)


【4月】
■四月大歌舞伎
昼の部
・平成代名残絵巻
・新版歌祭文
・寿栄藤末廣
・御存 鈴ヶ森

夜の部
・実盛物語
・黒塚
・二人夕霧

■BLUE/ORANGE@DDD青山クロスシアター

■キンキーブーツ@東急シアターオーブ

〈4月振り返り〉
このへんからエンジンがかかり始めた記憶がある。まず歌舞伎座平成代名残絵巻。巳之助×児太郎のW六方!!!!興奮した〜〜〜 イヤホンガイドから流れる「令和を担う世代」という言葉がうれしかった。そして夜の部黒塚、至高だったな…あんな歌舞伎の世界もあるんだ、と魅入ってしまった。/BLUE/ORANGEが個人的にターニングポイントだった気がする。演劇をもっとみたい、と思ったきっかけの一つ。精神科を舞台にした3人芝居。互いの心情の探り合い、緩急の効いたスリリングな展開に引き込まれた。成河さんの言葉に注目し始めたのもブルオレがきっかけ。夜はそのままIMYコンサートへ。こちらも楽しかった〜/忘れられない、キンキーブーツ!チケット取ってから半年待った甲斐があった。いまやるべきミュージカル、いま求められてるテーマなんだろうなと実感。とにかく、客席の盛り上がりがすごい!その熱気を感じられてうれしかった。


【5月】
■オフシアター歌舞伎「女殺油地獄」@寺田倉庫

■木の上の軍隊@紀伊國屋サザンシアター

■CITY@彩の国さいたま芸術劇場

海辺のカフカ@赤坂ACTシアター

赤と黒 サムライ魂@東京国際フォーラム

〈5月振り返り〉
5月も盛りだくさんだった…!何せ、木の上の軍隊(松下さん)と海辺のカフカ(柿澤さん)が立て続けに、しかも二人とも舞台でみるのは初というタイミング。木の上〜もnoteに書いたけど、特に驚いたのは最後の演出。暗転して終わりかと思いきや、暗闇のなかゴーーーッとオスプレイの音がして、あたかも客席の頭上を飛んでいくかのような体験。恐怖だった。目の前でみた芝居は決して遠い過去の話ではなく、現在と地続きなんだということを強烈に突きつけられた、忘れられない体験だった。松下さんの新兵役も素晴らしく、松下洸平という役者を見ていきたいと思った作品。/待ちに待った海辺のカフカ。柿澤さん演じるカラスの一言からスタートするのだけど、まずこのカラスが独特な存在で、主人公の分身。それこそ捉えどころのない役。作品世界に見事に溶け込んでいた。7年関わってきた作品が幕を下ろすということで、柿澤さんの思いもひとしおだったようで。その最後を見られた、間に合って良かったなとつくづく思った。


【6月】
■キネマと恋人@世田谷パブリックシアター

■BACK BEAT@プレイハウス

■新作歌舞伎NARUTO@京都南座

■六月大歌舞伎/三谷かぶき「風雲児たち

国立劇場鑑賞教室「神霊矢口渡」

■オレステイア@新国立劇場中劇場

〈6月振り返り〉
今年みたなかで、誰かにすすめる一本として挙げるならコレ、キネマと恋人。あらためて、ケラ作品の魅力には敵わないな〜好きだな〜と思った。(それなのにドクターホフマン見逃す…)演劇で映画を表現する、作品世界と現実を行ったり来たりするメタ構造に唸った。/BACKBEATはすごく好きな演出がありまして。この話書いたっけか。なんとも美しいシーンだった。戸塚さんは儚くて美しいな…。辰巳くんの弾けっぷりも良かった!/NARUTOは京都南座にて!みのはーのナルサスナルサスのみのはー。きっと今だから出来る作品。だからこそ見る側も力が入る。御園座も楽しみです。/風雲児たち。笑いあり涙あり、シビアな現実もあり、群像劇の良さが詰まった壮大な作品だった。三谷さん、またぜひ歌舞伎座に!/予想以上に好きだったオレステイア。終盤に、自分がみていたものは裁判の再現劇だったことに気づく。これ自体はよくある手法なのかもしれないけれど、それまでイチ観客だった自分が作品の一部になっていた、という体験は興味深かった。今年は意外と法廷劇をよく見たな?


【7月】
■ビビを見た!@KAAT神奈川芸術劇場

■SHOW BOY@シアタークリエ

エリザベート@帝国劇場

■骨と十字架@新国立劇場小劇場

〈7月振り返り〉
舞台に立ってほしいと常々思っていた役者・岡山天音くん。ビビを見た!は彼の芝居、声、身体能力を間近で感じられる(2列目だった)作品だった。絵本の舞台化というのも新鮮。サンプル・松井周さんの作品はまた別のかたちで見てみたい。/SHOW BOYはとにかく楽しかったなぁ。贔屓目でなく、クリエサイズでは収まりきらない作品だなと思った。チャプターごとのタイトルが、それぞれSBのテーマにまつわる映画やミュージカルから引用されていて、特に越岡さんパート「ペーパームーン」がお気に入り。/念願のエリザベートは、古川トート×花總シシィ×育三郎ルキ×京本ルド、芳雄トート×愛希シシィ×成河ルキ×三浦ルドの組み合わせで2度!シシィという自由闊達な少女が、時代の流れに翻弄され、それでも「誰のものでもないこの私は」と突き進む姿にひたすら胸を打たれた。お姫さまの話、ではなかった。ただ重いだけでもなかった。他にも書きたいことたくさんあるんだけど… とりあえず、芳雄トートの破壊力ハンパなかった。来年も楽しみ(まずはチケット…!)/ツイッター上の口コミに動かされて見に行った骨と十字架。だいぶハマってしまい、2回観劇。緻密な会話劇がすきだなと再確認。その中で駆け引きだったり、歩み寄ったり。関係性がじわりと浮かび上がってくるのが良い。衣装も素敵だった。


【8月】
■THE BANK ROBBERY@新国立劇場中劇場

■八月納涼歌舞伎
一部-伽羅先代萩、闇梅百物語
二部-東海道中膝栗毛

〈8月振り返り〉
定期的にはみれていないものの、メタマクから原ちゃんの動向を見守りたくなったおたくはバンロバへ。ど真ん中ではじける原ちゃん、眩しかったな。コメディの間がうますぎない!?あと桜井玲香サーン!れいかは登場すると華やぐ!いくちゃんとはまた違うヒロイン気質だと思った。/八月納涼もすごかった〜!伽羅先代萩中村屋七之助丈、勘太郎、長三郎の兄弟)の活躍を見守った。これを見られたこと、今後もつづく歌舞伎観劇人生の中でも重要なことなのではと思う。やじきたは笑った〜 笑ってたら終わった〜 とろろ地獄はズルい。

【9月】
■愛と哀しみのシャーロック・ホームズ@世田谷パブリックシアター

■秀山祭九月大歌舞伎
昼の部
・極付幡随長兵衛
・お祭り
・沼津

■THE CIRCUS!@新国立劇場中劇場

〈9月振り返り〉
今年はこれを語らずして、という愛と哀しみのシャーロック・ホームズ。ありがたいことに、つい先日WOWOWで放送されて、何度も見られるうれしさを味わってるところです。三谷さんに大抜擢された柿澤さん。彼の演じたシャーロックは、名探偵になる前の未完成なキャラクターとして、丁寧に、実に魅力的につくられてた。寂しがりの強がりなんて、そりゃ皆愛しく思っちゃうでしょう、という。どのシーンも良いけど、特にトランプを当てるシーン。身振り手振り、そして長台詞でシャーロックの思考がどんどん加速していくようすが伝わってきて凄まじかった。アドレナリン半端ない。到底語り尽くせない。続編に期待!/エピソード0がすきだったな、と思い出すなどしたCIRCUSファイナル。越岡さんの演じるキャラクターに「女たらし・チャラい・なんか残念」なイメージがついたのってカルロス以降のような。一定のキャラを得意とするのは武器だけど、ぶち壊す姿も見てみたい。

【10月】
■芸術祭十月大歌舞伎
昼の部
・廓三番叟
・御摂勧進帳
・蜘蛛絲梓弦
・江戸育お祭佐七

スーパー歌舞伎Ⅱ オグリ@新橋演舞場

■暴力の歴史(東京芸術祭2019)@プレイハウス

〈10月振り返り〉
芸術祭は蜘蛛絲梓弦(くものいとあずさのゆみはり)がかなり好みだったなー。黒塚しかり、人非ざるものが出てくる作品てなんでこんなに惹かれるのか。だいすきな大薩摩が入ってたのも興奮ポイント。いやー、思いがけず良かった。/なんとか滑り込めたオグリ!配役は小栗判官猿之助さん、遊行上人が隼人さん。そもそも、スーパー歌舞伎を生でみるのがはじめてで。新作歌舞伎とどう違うんだ?なんて思ってたけどすみません、全然違いました。。エンタメ度が高くて、新感線っぽさある。でもただ派手なだけじゃなく、空間を広くとって役者の芝居だけに集中させる演出もあったり、面白かった。あと照手姫!!!新悟さん、あなたはすごいよ。とにかくすごい。あんなに力強くて可憐なヒロイン見せられたらもう…!!隼人さんは、美坊主もよかったけどやはり小栗判官として照手と結ばれるところが見たかった〜 という欲。ちょっと秋は色々詰め込みすぎたね。

【11月】
■終わりのない@世田谷パブリックシアター

■ダンスオブヴァンパイア@帝国劇場

■放課後の厨房男子@博品館劇場

〈11月振り返り〉
今年みたなかで1位、2位を争うくらい良かった終わりのない。ようやく辿り着いたイキウメ・前川さんの作品。獣の柱を逃してたから、これは是が非でも…!と思い、なんとか当日券で駆け込んだ。「人間は個であり、全体である」というテーマを内包した作品。思いがけず、今年みた作品のいくつかに通底するテーマでもあり、考えさせられた。宇宙に行くし、時空を超えるし、ここだけ読むとSFだけど、壮大なようでいて、個人の物語でもあって。主演の山田裕貴くんはそのナチュラルな佇まいが本当にすばらしかった。新人賞受賞めでたい!/ダンスオブヴァンパイア山口祐一郎様ファンの母の横で、娘は石川禅さんの歌にだいぶ心を持っていかれました… ヘアスプレー行きます/厨房男子!今年イチ、何も考えず手放して楽しめた作品!芸達者が多くて最高!小ネタが過剰でヤバい!いつでも見たい作品。

【12月】
■新作歌舞伎 風の谷のナウシカ@新橋演舞場

■Indigo Tomato@グローブ座

■コトリ会議「セミの空の空」@こまばアゴラ劇場

■ロカビリー☆ジャック@シアタークリエ

■キレイ@シアターコクーン

■タージマハルの衛兵@新国立劇場小劇場

■ワワフラミンゴ「くも行き」@東京芸術劇場シアターイース

〈12月振り返り〉
今月がいちばん観てるという(笑)かなり前からチケット取ってた作品と、突発的に行ったものと。バランスは良かった気がする。では気を取り直して。

ナウシカは開幕して二日目、昼夜通し。まず口上が良かったなー。昼はけんけん、夜は種くん。新作を上演するにあたって、細部に気配りをして創り上げているのが伝わってきた。菊之助さんのナウシカ七之助さんのクシャナ、それぞれの登場で会場が静まったり、逆に湧いたり。皆で目撃している、という不思議な一体感があった。これは新作ならではの空気感だろうなぁ。若手の活躍がすごくて嬉しくなった。/インディゴトマトは再演にて。平間さん、ようやく会えましたね…という気持ち。歌も芝居も素晴らしかった。なんて優しい声で歌うんだろうか。カテコの笑顔にだいぶやられました。ヘアスプレー行きます(2回目)/セミの空の空は、噂に聞いてたコトリ会議という、大阪の劇団がちょうど東京でやってる!ということで駆け込んだやつ。突然セミになったり、指に遺書埋め込んだり、弾き飛ばされたり、なんというかホラーだった。「生きてるものはいないのか」(映画のほう)を思い出した。不条理劇。/ロカビリージャックはもう一回観たかった!!!!12月にぴったりな楽しい作品。歌ウマな方たちが勢揃いして、なんとも贅沢。念願の海宝さん、歌はもちろん、芝居がめちゃくちゃ好みでもう抗えないな……と思いながら劇場を出た。ビルかわいい。音源を出してくれ。/キレイは、これツイッターでも「咀嚼できてない」と書いたけど、相変わらずです。疑問に思うところもなくはなかった。物語云々、演出云々はわからないけど、いくちゃんが歌う「ケガレのテーマ」が鳥肌立つくらい良くて震えたのは間違いなく。最初と最後で歌うとまた違って聴こえて、演劇における歌、ミュージカルにおける歌、その意味を思ったりした。/これ観なきゃ今年は終われないと思っていた、タージマハルの衛兵は濃密な2人芝居。ここでも「個と全(ことぜんというシリーズ)」が大きなテーマになってる。2人の衛兵の背後にあるもの、それは建設中のタージマハルでありながら、権力であり、社会の目でもあり。多少心配してたショッキングなシーンは作品に必要な一部として、むしろしっかり見なきゃと思えた。新国立劇場の挑戦的で意欲的な作品は今後もみていきたい。/今年ラストを飾ったのは、ワワフラミンゴという劇団のくも行き。こちらもコトリ会議同様、面白いという噂を聞いて。たしかに、予想以上!掴みどころのなさがこんなにクセになるもんか、と(笑)シュールなコントをずっと見続けてるような時間だった。ワワフラミンゴ、多分次も行くと思う。



よし!書いた!(31日17:55時点)

一年を一気に振り返って書こうとすると大変だな…というのは知っていたものの結局こうなる。来年(こそ)は、表に出すか出さないかは別にして、ある程度まとまった文章をコンスタントに書かねばと思っているので、こんなんでへこたれてはいけない。

全体ざっと見返すと、今年はミュージカルもストレートプレイもまんべんなく観たいという気持ちが強まって、いろいろ足を運んだなというかんじ。おかげで、まったく予想してなかった出会いとか、自分の好みの傾向とかも分かってきて面白くなってきた。歌舞伎は見逃したものも正直多かったから、来年も無理しない程度に通えたら。「心残りは?」と言われたらたくさんあるけど(笑)強いて言うならえびかいかな…見たかった…


来年もすでに1月フランケンシュタインと新春浅草歌舞伎という、どう考えてもフル稼働しなきゃなスケジュールだけども、一応(一応は…)バランス考えつつ、いろんなところに顔を出しつつ(四季と宝塚は実現させたい)楽しめたら良いな、と。

そういうわけで、今年も一年お世話になりました。良いお年を!